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<<   作成日時 : 2009/10/02 10:40   >>

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『もうひとつの 剱岳 点の記』(山と渓谷社編) を読んで

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                     クレマチス

新田次郎の小説『剱岳 点の記』
木村大作監督の映画『剱岳 点の記』では
 日本の地図を完成させるために、陸軍は測量官・柴崎芳太郎に
 最後の空白地、剱岳に初登頂と測量を命じた画像
 死をかけた登頂が成し遂げられるが
 頂上には古い時代の物とおぼしき
 錫杖の頭と鉄剣が発見される
 初登頂でなかったこと
 嶮しい山のために機材をあげられず
 三等三角点を設置できずに、四等三角点になったこと
 四等三角点は臨時的なもので、点の記にはならなかった
 
新田次郎は「越中剱岳を見つめながら」に、
取材を進める中で、当直しながら柴崎から
「剱岳登山の裏話をほとんど聞いた」
園部蔀に出会えたことが、運命的であったと書いている。

野々村邦夫の「測量後日談としての剱岳点の記」が印象に残る
明治40年、柴崎芳太郎によって初めて測量された剱岳。画像
  しかし、2004年まで「点の記」に
  剱岳の名前が記されることはなかった。

ちなみに 乙女の手持ち地図「剱・立山」は 
2003年作成で三角点は記されていないが
標高は2998mとある

三角点のことは難しくて 説明がしにくい

点の記とは
基準点(三角点・水準点・基準高く点など)の
設置・測量記録のこと。

三角点は、
地球上での位置を示す経緯度とともに、垂直的な
 位置を示す標高も決定されている。
 地形図を作成するためにも重要な役割をになっている
今 測量は人工衛星の利用によるJPS測量方法がとられているとのこと
「点の記」は、三角点の標石が埋められて初めて 記録になるという

公文書「三等三角点」「剱岳」では 
     1907年(明治40年)7月13日 「選点者」→柴崎芳太郎
     2004年(平成16年)8月24日 「設置者」→伊藤純一(JPS測量)

柴崎は剱岳の嶮しさのため 山頂に三角点の標石設置を断念したが
山頂の高さを決定していた(2998m)。

2007年発行の二万五千分の一地形図「剱岳」では
     三角点・・2997.1   
     標高点・・2999     

この『もうひとつの〜』で 登山史家・五十嶋一晃は
「剱岳測量登山の謎」で、
柴崎の登頂や長次郎の参加についての疑義を考察している。
2007年10月に明らかになったこととして
国土地理院保存の「四等覘標高程手薄」に
    柴崎測量官が剱岳に登って観測した日は
    1907年7月28日 観測標高地 2998.02mと記している

園部氏は
「測量の苦労は世の中に知られていない。ぜひ柴崎さんのことを書いてください」
そう言って 新田次郎の取材から五ヵ月後に亡くなったという(「越中剱岳〜」)

画像
小説に息を吹き込み、迫力ある映像を見せてくれた
映画「剱岳 点の記」を
もう一度 観てみたい

新田次郎はこの小説を書くために
64歳で剱岳に上り
4年後に没した。

乙女は1990年8月
S氏らに連れて貰って 立山から剱岳を登った
もう、行けないだろうな
   

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なるほど(納得、参考になった、ヘー)

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
以前、簡単に乙女さんに三角点ってって聞いたような気がします。
難しいのですね、簡単に聞いてしまってすみませんでした。昔の人は錫材の頭と鉄剣で登って調べたのですか。これは映画と小説を読まないとわかりませんね。凄い山に登ったのですね、乙女さん。
あんこ姫
2009/10/05 17:04
あんこ姫さん
よく読んでくれましたね。書いた乙女は一体何を書きたかったのか
つまり、記録にならなかったけれど、最後に残った剱岳の測量のために
命をかけて登った人々がいた・・という感動かな。
日本では山は霊山で修験者たちが殆ど登っていると言われています。
錫杖と剣はその人たちのものでしょうか。
なぜ剱岳の頂上にあったか、それは不明です。
剱岳に登った時は、三角点測量の最後の山とは知りませんでした。
桂川の乙女
2009/10/06 16:35

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